新潟日報事業社『越後豪農めぐり』に、山田家とともに掲載されている。瀧本家は、約300年前に上ノ郷から大瀁郷開墾がなると移住してきて、代々大肝煎格の大地主である。昭和19年(1944)当時91.3町の農地を所有していた。
邸内には、懐徳亭があり、大正2(1913)年上越市西城町に瀬尾氏宅離れとして建てられた。大正時代を代表する書院造り建築であり、昭和15年に現在地に移築された。
平成24(2012)年8月13日に登録有形文化財に登録された。近年、NPO法人くびきのお宝のこす会が、管理・整備にあたり、公開イベントを開催している。
瀧本家は、明治17年10代数弥は百間町新田外48ヶ村の戸長に任命された。頸城と号した11代義雄は慶応元年安塚区行野横尾家に生まれ、母の実家を継ぎ、明治29年2月に頸城村長となった。12代義敬は大正11年から4年間、大瀁村長なった。その後大瀁用水組合長となり、潟川の逆流用水改修大事業を推進する。昭和6年には、新潟県会議員となった。
『頸城村史』から引用する。