畑ケ崎の丘陵上に三十三観音が静寂の中にあり、登る山道の傍らに石柱が建っています。石柱の三面に、西国札所観世音菩薩、慈眼視衆生福聚海無量、文化十二乙亥歳七月仏生日手島村布施助二良としるされています。文化12(1815)年7月に手島村の布施助二良がこの三十三観音を作ったことがわかります。恐らくは、西国三十三観音霊場を巡礼した記念として作ったと考えられます。『頸城村史』より引用しました。
日本に仏教が伝来した時代から、法隆寺の百済観音をはじめとして、観音信仰は連綿として続いていました。西国三十三観音霊場巡拝は奈良時代の長谷寺徳道上人に始まるとの説があります。室町時代に三十三の定まり、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所を合わせ、百観音霊場と呼びました。観音について説かれた仏教経典で最も有名なのは、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五、別名観音経とのことです。