塔ケ崎地内小池湖畔から昭和61年9月火焔土器が出土し、希望館に展示されている。
昭和5年に新潟県が発行した『新潟県史蹟名勝天然記念物調査報告書』第一集に、塔ケ崎遺跡について記録がある。
中頸城郡明治村大字花ケ崎字塔ケ崎は、同村大池並びに小池と称する池を俯瞰して海抜46米の丘なり。(中略)此大池・小池の中間一帯の畑地は、磨製打製の石器が地表に散布す。而して冬季渇水の際は、大池の南西岸一帯、地表より二三尺の深さに於て三尺余の厚さを以て多数の土器の破片を包含するを発見し得べし。土質は洪積層地帯なり。
火焔土器は、縄文時代中期を代表する縄文式土器の一種で、特に装飾性豊かな土器である。初めて発見されたのが、長岡市馬高遺跡であり、新潟・長野北部・福島西部など200以上の遺跡から出土している。十日町市笹山遺跡出土57点は1999年国宝に指定され、その中の14点が火焔土器である。フリー百辞典『ウィキペディア』より引用する。