立崎に住む武田長兵衛信安は、千人力の力を授けてもらいたいと思い、寺に願をかけ続けました。願いがかなって力を授かった長兵衛は、小黒の専敬寺にお参りの帰り道、石屋に立ち寄り「何かお土産に固いものはないかね」と聞くと、石屋が面白がって「この鳥居をもっていきなさい」といいました。長兵衛はその鳥居を一式軽々と背負って帰り、森本神社の境内に建てたと伝えられています。
鳥居は、上越市の指定文化財です。
森本の近くの立崎に一人の豪傑が住んでいました。その男の名は武田長兵衛信安といい、幼名は長太郎といわれました。あるとき、千人力の力を授けてもらいたいと思い、大島村下岡の観音寺に願をかけ始めました。毎日白麻1かけずつ持って供え、いよいよ100日目を迎えました。ところが、堂から出ようとすると、歩くたびに足が地に沈んで歩くことができないのです。長兵衛は千人力から敵一倍の力(相手が5人なら10人力、100人なら200人力)に戻してもらいました。これによって、米俵をぬか俵のように持ち上げることができるようになりました。念願かなったので、もう一度お参りに行き、以前に供えた100かけの白麻を一まとめにしてねじってみたらたやすくねじり切れてしまいました。
ある日、長兵衛は小黒集落の専敬寺にお参りに行った帰り道、松崎あたりの道端で石屋が石を刻んでいるのを見て、からかいました。「家の土産にくるみをもらってきたが、やわらかくてつぶれそうで困る。もっと固いものがないかね」と聞くと、石屋は面白がって、
「そんならこの鳥居をやるから持って行きなさい」といいました。長兵衛は鳥居の両柱と踏石、冠石ごと並べて軽々と背負ってしまいました。石屋はびっくりしましたが、今更冗談ともいえずに、ただ長兵衛を見送るだけです。長兵衛はその鳥居を背負って来て、森本神社の境内に建てました。
専敬寺は度々火災に遭い御堂建て替えのとき、大きな用材を使うので「長兵衛さんに頼んだらどうか」という声が上がりましたが、「そんなもの役に立つまい」と頼みませんでした。それを知った長兵衛は、早速寺へ行って、職人が1カ月もかかって仕上げた材料を一晩でみんな下ろしてしまいました。それを見た棟梁は怒りましたが、長兵衛は「そんなら、また上げてやる」といって、元のとおりにきれいに上げてしまいました。」その御堂は専敬寺の弥勒堂であったといわれています。
立崎から大島村上達の往来に横川という集落がありますが、その街道筋に剣神社があります。その境内に大きなケヤキの木があり、長兵衛はそのケヤキの木に腰をかけて休憩していたところ、博労が馬を連れて通りかかりました。そして、馬の手綱を枝に縛り、一服していました。長兵衛は「わしは立つから、馬の手綱を解けよ」といいましたが、博労は力持ちとは知らずに手綱を解かずにいました。「そんなら立つぞ」と長兵衛がひょいと立つと、枝がピンと跳ねて馬が宙ずりになりました。博労はびっくりして大急ぎで馬を下ろしてもらいました。
長兵衛の屋敷の両側にある堀は、朝飯前にコスキで掘り終わり、庭の大きなもみじの木を両手でねじった跡が今も残っているということです。また、長兵衛が当時持ち歩いたカシワの木で作った長さ六尺三寸、周囲5寸の杖が保存されています。