頸城区の歴史

頸城区の歴史

江戸時代の新田集落・大瀁郷と古い歴史を有する明治地区などからなる上越市頸城区の歴史

DSC05842大池・小池周辺からは、縄文時代中期(約5,500~4,500年前)を代表する火焔土器が出土した塔ヶ崎遺跡があります。その後、弥生・古墳時代と続きますが、この地域は、浮島潟・大潟のある保倉川下流の沼沢地でした。新潟県の古墳文化は、菅原古墳に代表されるように頸城地方の関川上・中流域で発達しました。頸城地方には「久比岐国造」が置かれましたが、本拠地は不明です。

和名類聚抄(平安時代・承平年間)の越後国頸城郡10郷の内、この地域は、南の夷守郷に属し、北の佐味郷と接していたと推定されます。平安・鎌倉時代には、明治地区町田川以北の佐味荘と榎井保・夷守郷があり、両毛付近には条里制地割のようなものが見られ北陸地方の北限といわれています。

南北朝時代は、安塚直峰城を本拠とする風間信昭の勢力圏にあったようで、雁金城・茶臼山城が築かれ、また榎井の古宮館・舟津の行ノ立・手島の両毛館などの跡が見られます。

また永正・天文の乱では、三分一原の戦いがあり、上杉謙信の越後統一後は両城とも春日山城の支城として残り、雁金城は今日、謙信公祭狼煙上げに登場しています。

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江戸時代の越後中将家(松平光長)の家老小栗五郎左衛門が司った大瀁郷新田開発は、茂田七右衛門・神戸三郎左衛門・宮嶋作右衛門などの活躍で、延べ100ヶ村、18,913石余の新田が生まれました。

この地は、江戸から明治にかけて山田・瀧本に代表される大地主を生みました。また、明治以降、頸城鉄道を創設した大竹謙吉、文化勲章受章の坂口謹一郎、東大名誉教授の宮本正尊など幾多の郷土の偉人を輩出しました。