史跡・名勝

百間町山田邸

新潟日報事業社『越後豪農めぐり』には、士分の家格。上越地方では保阪家に次ぐ第二の大地主。・・・。かつて広い庭園は美しく往時児童の遠足地とされた。

山田家は、津有郷切原(桐原)村から寛永18(1641)年頃移住してきた開発農民とみられる。元禄11(1698)年2月の御改帳には高22石5斗余とあり、その後、土地の集積を重ね、天保6(1835)年には695石余、万延元(1860)年には1,596石9斗余と急成長をした。昭和19(1944)年当時393.6町の農地を所有していた。

中興の祖7代治左衛門は宝暦元(1751)年の大地震後の高田藩に率先して毎年多額の才覚金を出し、藩財政を援助した。また珀山亭枝明と号し、文人としても活躍した。

明治4年山田習治(辰治叔父)などが高田藩校修道館教井部健斎を招き温故知新塾を開いた。11代辰治は、温故塾の健斎について漢詩を学び愛山と号した。辰治は育英事業に着手し、中島清一郎、宮本正尊など総数約200人に及んだ。また、実弟大竹謙治を頸城鉄道の社長にし、事実上の会長として全力を尽くし、その労を惜しまなかった。

『頸城村史』より引用する。


●所在地
上越市頸城区百間町257 
●交通アクセス
 
●駐車場
 
●営業時間
 
●料金
 
●お問い合わせ
NPO法人くびきのお宝のこす会(頸城商工会内) 電話:025-530-2156 
●関連リンク
http://kubikino-rp.jimdo.com/

アクセスマップ

  • 大池いこいの森
  • 坂口記念館